武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新を読んだ感想

みなさんこんばんは。

 

今回は武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新を読んだ感想です。

確か、佐藤航陽氏の著書お金2.0でこの本が面白いと書かれていたので、気になって読むこととしました。

 

以下、書籍より引用した文章については下記のボックスで囲みます。

 

 

著者は?

著者は磯田道史氏です。

日本の歴史学者の方です。

余談ですが、実家が由緒ある備前岡山藩支藩の重臣の家系で、名前の「道」は代々受け継がれている通字だそうです。

 

印象に残った内容は?

加賀藩御算用者であった猪山家がどのように、加賀藩御算用者として登用されていったのか、また猪山家がどのような時代のうねりに巻き込まれたのか、猪山家の信之、直之、成之ら3代の人生を中心に、猪山家が残した家計簿から読み解く内容となっています。

 

江戸時代の武士にとって領地とは

「500石の知行であったと亡母から聞いております」というように、知行高については、しばしば正しい答えが戻ってくる。しかし、その次に、こう聞いてみると、まず答えはかえってこない。

「そうですか、その500石の御料地は、どこでしょうか。どの村になるのでしょうか」

武家社会では、知行が当られると証書が発行されますが、基本的には城下に屋敷を持ち、そこに常駐することが義務付けられ、許可なく農村に立ち入ることはできなかったそうです。

そのため、知行地を知らずに死ぬ場合が多かったそうです。全く知りませんでした。

 

親戚づきあいにお金がかかるわけ

武士は日頃から農民よりも連座制の影響を厳しくうけていた。婚姻・養子・で形成される武士の親族関係は「一類附帳」によって、藩庁に公式に届け出られ、少なくともイトコまでの範囲はきっちりと把握されていた。親族の一人が少しでも「不始末」をすると、親族全体に累がおよび、「差し控え(謹慎)」などの処分が下るのである。

親戚付き合いがなぜ必要だったかというと、運命共同体となっていたからでした。また男子が生まれなかった場合は、養子を取る必要もあったため、親戚付き合いは重要だったそうです。

 

出世する猪山家

ところで、武士には二つ名前がある。「諱」と「通称」である。「信長」とか「家康」は諱であり、「太郎」とか「~兵衛」というのは通称である。「直之」というのは親などが名付けた「諱」である。これが本名といってよい。しかし、他人が「なおゆき」などと呼んではいけない。呼べば大変な失礼になる。この諱は本人ですら滅多に使わない。ただ公式文書に署名する時には使う。

諱ですが、普通は死ぬ前には使わなかったそうですね。

 

ドジョウを焼く士族

士族が没落する時の勢いに、おののくばかりであった。しかし、驚くのはまだ早かった。八月になると、同じ犀川に「下民同様、夏中、犀川橋づめに唐キビを焼き、ドゼウ(ドジョウ)を焼き売る士族」(①明5・8・28)が現れたのである。いまだに、士族は家禄は支給されていたが、それでは食べていけず、「稼ぎ方も無」いので、トウモロコシやドジョウを焼いて売る者さえ出た。

大政奉還後の士族の生活もわかります。士族であっても気高く生きていくことは不可能であり、ドジョウを焼いたりしないといけなかったのですね。

ここらへんの歴史はあまり見ないので、面白くも感じました。

 

感想

江戸末期の当時の生き方、明治維新にかけての士族の生き方、どのような生活を送っていたかが武士の家計簿からわかってきます。歴史が好きな人にはかなり面白いのではないでしょうか。

この本の主人公の猪山家は、算で成り上がった人間なので、いわゆるエリートです。そのため、明治維新後も士族として生き残れたのですが、その生き方で重要なのが勉強にありました。

今も昔も、勉強は重要だということも参考になりました。

 

これは非常に面白い本で、自宅に書斎があったら置いておきたい本ですね。